何でも失ってから気が付きしばらくしたら幸福に変わる
失ってから優しさを知った
失ってから必要性を知った
失ってから愛しさを知った
失ってから大切さを知った
失ってから本心を知った
いつだって 答えを知るのは
後になってからで
いつだって
答えを受け入れるのは
後になってから
人生波乱万丈、山あり谷あり、上手くいかない
でもその歯がゆさは、感謝と、喜びを
わからせてくださる 力となる
失うってこれは喜びを呼び覚ますものだ
何でも便利、何でも自分の思い道理に
それが幸せか?それもそうだろう
心から湧き上がる喜びは少ない。。
私が失ってから知った 左半分の脳の力
海馬を切除して知った 海馬の記憶力を
半分切除しても 力は落ちたが
機能は充分に 働いてくれる
手術で自分の血液でするので 献血をした
一度、2度、3度目にめまいで立ち上がれなかった
ああああ!血液の尊さあって当たり前って
思ってたのが あって奇跡だって
感謝の心が 湧き上がってきた
何でも日々与えられるものが
自由を失ってから あああ!
ありがとうございました。って
心の底から言えるようになった
ある人が言っていました その方は
人生がうまくいかなくなって 電車の
線路に飛び込んで 自殺をした
でも死ねなかった 片足と片腕、指を失った
残ったのは片腕の指三本だけだった
それで何回も、また何回も死を願った
でも死ねなかった そんな中で聖書と出会い
毎日毎日読み続けました そんな時に、
神様の果てしない、愛にきずかれたのです。
私には片腕と指三本あるではないか
感謝です。恵まれていますって。
それから人生は、凄いものに代わっていきました。
炊事洗濯、裁縫、買物。。全てを一人でこなしました。
私にとってこの試練は、大きな意味がありました。
それは、自分の力で生きてるんではない。
神様に生かされてるんです。その感謝が
果てしなく心から湧き上がってきました。
その時の感動は、何物にも代えられないそうです。
失ってから得られる宝物
それは心から、謙遜になって、ありがとうございました。
それを言えることではないでしょうか。