志村けんさんが死んだの実感出来ない
皆さんおはようございます。今日も雨です。
よく降りますね。今年は雨が多いですね。
でも水を与えられてる事を、感謝しないといけませんね。
亡くなって3か月が過ぎました。その死を受け止められない
人たちの声が今もネット上にあふれてるそうです。
6月上旬、東京都東村山市に向かい、志村さんの実家を尋ねた。
兄の知之さんが、30分ほど、弟さんの思い出を語ってくれた。
『今もしょっちゅうテレビに出ていて亡くなった気がしないんですよ』
志村さんは3人兄弟の末っ子で普段は物静か。コツコツと
物事を進める姿が印象的で、それがコント作りへの
情熱につながったと感じてるという。。。。
『小さい子からお年寄りまで楽しませて、凄い人気だったのを
亡くなって改めて知った。お疲れさま。頑張ったねて。』
3月29日。70歳で亡くなった志村さん、その死が
コロナの怖さを多くの人に実感させてくださいました。
東村山市駅前に市が設置した献花台には、3千~4千
の花束や飲み物が寄せられ、撤去時には約一トン
になっていたという。ツイッターには「志村ロス」
のハッシュタグを付けた投稿があふれた。。。
行きつけだったバーが麻布十番にある。入り口に
ファンのメッセージが書き込まれた付箋が
無数に貼られていた。。。。
「たくさんの笑いをありがとうございます。」
「皆の心でずっと生きています」
志村さんの席は、店の一番奥の隅っこと決まっていた。
その席には今も好きだった、焼酎やウイスキーの
瓶が置かれている。。。。
思い出すと。。。。
テレビ番組で共演したたれんとやタレントやスタッフも
喪失感と向かっているそうです。。。。
「こじるり」の愛称で人気の小島瑠璃子さんは
「今でも亡くなったと思ってなくて最近会ってない感覚」
「照れ屋さんのところが一番好きだった」そう言われます。
元気もらえました
ニュースの4Uには、志村さんへの感謝や喪失感を
つずった投稿が寄せられた。。。。
東京都の20代の女性は、中学の時の部活や勉強で
悩んでた時学校に行きたくなかった。。。
そんな時志村さんの番組を見たという。。
「落ち込んでも元気がもらえた。私の救いだった」
栃木県の会社員女性は小学校に上がったころ
「バカ殿様」を見て「お嫁さんになりた」と宣言した。
「今でも志村さんの事は毎日思っています」
「これからも先もずっと好き。忘れたりなんかしません」
このように語っているそうでした。
何と偉大な方だったんでしょうね。涙が出ますね。
私も子供のころ必ず土曜日の8時にみてました。
『8時だよ!全員集合!』
大笑いで。転げまわったのを思い出します。
ほんとに今も、皆さんを笑わせてくださる
ずっと生きておられる方ですね。