日曜日の教会の礼拝に行って、教会の礼拝の
受付のところで私が初めて見る方がこられた。
そこで私は声を掛けました。
「おはようございます!」
「初めてこられたんですか?」
相手の方が答えられました
「今日が2回目なんです!」
「そうですか、良く来られましたね」
「どこから来られたんですか?」
その方のお母さんが答える
「大県からです」
私が驚いて言う!
「えええ!私も同じ大県ですよ」
相手の男性が答える
「大県のどこですか?」
私が答える
「堅下小学校のすぐ前です」
相手の男性が答える
「私も堅下小学校卒業生です」
「あなたの年齢はいくつですか?」
私が答える
「今年で57になります」
相手の男性が答える
「私は58歳です!」
「1歳上ですね」
そうゆう驚きと偶然ンというか?
不思議なものを感じたんです。
それでその方が教会に来たら
出席することを証明するために
名前を書くんです。。。。
それでその方が書いた名前を見たら
弘明って書いています
そこでまた私は驚きました。。。。
私と全く同じ弘明なんですよ。
私が答える
「ええええ!弘明ですか」
私と全く同じで字も同じですね。
そう言うと相手の方は驚きとなんか
不思議なものを感じたみたいでした。
礼拝が終わってから牧師とその方は
話をしておられました。。。。
それからその後に牧師から言われました。
「あの方は末期のがんなんです」
「抗がん剤治療はしていない」
「後医者から余命半年って言われた」
そう言われたときに私は驚きました。
58歳というとまだ若いではないですか。
そのなんか悲しさと、私と年が1歳上だから
死に対する何かなものを感じました。
人はそれぞれ一人一人何年生きるかは?
神様しかわからないことで。。。。
一人一人何年生きるかは神様が
定められてる、そう聖書にも書いています。
でも実際に考えてみると、長生きしたいと
長生きするのは当然のように思う心が
私の心の中にあるその思いが。。。。
凄い悪いもののように思われました。
日々生かされてるのは奇跡であって。
長生きするのが当然ではないんです。
私も死を考えていますが。。。
まだまだ何十年先ですよ!!!
そういう思いが心に潜んでいます。
この思いは悔い改めないといけないと
その方と出会ってつくずく教えられました。
毎日その方の事を祈りたいと思います。
神様を信じ敬うそして委ねて生きること
そして出来るものなら奇跡を起こして
そのがんが治癒する事を願っております