信じることが素晴らしい
人間が不治の病に侵されて、迫ってくる死を自覚しなければならなくなった時、
この世の地位、名誉、財産は何の役にも立たないことを悟り始める。
これまで頼りにしてきたものには、もはやすがれなくなるのが死の現実である。
人は地位、教養という衣を脱がされて、裸のままで死と向かい合わねばならない。
死の床では、その人の持っている人生観や死生観、そして信仰が試される。
人が生きてきたその生きざまそのものが、その死にざまに凝集された形で現れる。
人は生きてきたようにしか死ねないのである。
信仰の有無はその死にざまに大きな影響を与える。
信仰を持っている人の死は、安らかである。信仰をもっている人にも、身体的な痛み、苦しみは
同じ様にやって来る。しかし、その痛み、苦しみに対する態度が変わってくる。
生を支えることについては、信仰や宗教が、医学上のあらゆることを超える場合がある。
病気のために家族や友人、社会から離れて入院する患者にとって、病院生活は自分を
見つめ直す機会となる。不治の病で入院する患者にとっては、病院は死という大問題と
対決する場となる。死に直面しなといけなくなる。死を自覚した人は孤独である。
患者は孤独のうちにこれまでの人生を見つめ直して、純粋な目で自分自身の存在を見つめる。
人間の命のはかなさを自覚して、死の不安を何とか克服しようともがく。
このような患者には宗教的な配慮が必要です。
信仰を持った患者に共通している態度は、自分が生きているのではなく、神によって
生かされているのであり、生きるも死ぬも、その神にゆだねるということである。
多くの人は聖書を読むようになります、そして信仰が与えられ私は全てを神に委ねる、そういわれます。
「我らの国籍は天にあり。」この希望に満たされて喜んで死を迎えるのです。
魂は永遠に生きるのです。皆さんも頑張ってくださいね。天国で必ず会いましょうね。
明日からまた春のような、気候になるみたいですね。気温の上がり下がりが激しいので
体にはくれぐれもきおつけてくださいね。それではまた明日もお互いに頑張りましょうね。
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