我らの罪を背負って十字架について下さった
キリストは、罪もないの体に、39回のむちを受けられました。
このむちと言うのは、棒の先に獣の筋を9つも縛り付け
その筋にはとがり角張った金具や角のついたものを
ところどころに結びつけていました。
その筋むちを力の限り振り上げて打つのですからたまりません。
皮膚は破れ、肉は裂けて、骨がさらけだします。
そこで40回もむちを打つと、死ぬ恐れがあるので39回に制限してたんです。
キリストはもだして、その鞭を受けられました。
その刑罰がすむと、今度は着物を着せその背に、十字架を負わせて
刑場へ引き立てて行きました。
キリストはすでに体力は尽き果ててしまい、歩くことができません。
十字架の重みに押し沈められ、あちこちによろめきつつ、道に倒れました。
人はなおもののしりながら、カルバリーの丘に引き立てます。
エルサレムの女たちは、あまりにむごい、いたわしい姿を見て泣きつつ見送ります。
キリストは彼らを顧みて
「エルサレムの娘たち。私の事で泣いてはいけない。むしろ自分自身と
自分の子供たちのために泣きなさい。そのとき、人々は山に向かって
我々の上に倒れ掛かってくれと言い。丘に向かって、我々を覆ってくれと
言い始めます。彼らが生木にこのようなことをするなら、枯れ木
には何が起きるでしょう」(ルカによる福音書23.28~31)
と仰せられ、自分の苦しみよりも人の身の上を案じられたのです。
カルバリーの丘に引きずっていった人達は、傷口についた着かは物を
まるで獣の生皮でもはぐように脱がせます。
頭にはいばらの冠をかぶらせ、鮮血が体に滴り落ち流れます。
それから両手両足を十字架につけて釘付けにし、掘っておいた
穴にどしんと突き立てます。全身の重みは両手両足の
傷口に集中して千切れるばかりです。しかしキリストは
一言もつぶやきません。
「キリストも、あなた方のために苦しみを受け、その足あとに
従うようにと、あなた方に模範を残されました。キリストは
罪を犯したことがなく、その口になんの偽りも見出されませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず
正しく裁かれる方にお任せになりました」(第一ペテロ2.21~23)
最後の一息までも忍び、自分を殺すもののために
神よ、彼らをお許しください。
そう祈って、死なれました。何という忍耐、愛でしょうか
十字架は愛そのものです、これに勝る物はありません
この愛を絶対に忘れてはならない。日々感謝しないといけませんね。
賛美歌を良かったら歌ってください。ガリラヤの丘
♬ガリラヤの風かおる丘の上で.新聖歌 40番 混声コーラス イスラエルの風景