私の兄弟姉妹の証です
大阪の地方選挙の時、候補者の方が、「わたしは、寝たきりを0(ゼロ)を目指して立候補しました。」
と書いたチラシが郵便受けに入っていました。私はこれを見て、むかつきました。
主人は、「100%のねたきり」だったのです。
脳の病気のため、体の自由が利きません。怠けて寝ているわけではありません。
本当に寝たきりだったのです。お見舞いに来てくださった方から
「こんな体になったら、私なら生きていたくない」と時々聞かされました。
「ご主人はきっと他人に見られたくないって、思われてるでしょうから、見舞いは控えさせて頂きます。」
と多くの方から聞かされました。言った方に悪気はなく親切心で言ったと思います。
寝たきりは不幸です。望んで寝たきりになったのではないのです。
八百万の神々と言われてるように、日本にはたくさんの宗教があります。
私の家に病人がいるって聞くと、自分の宗教を勧誘しようと、多くの方が来ました。
本当に数えきれないほどの、訪問を受けました。
「私の宗教に入信すると、病気は完治しますよ。」と言われました。
私はこの宗教だから、刑罰が当たったのか?この宗教だと罰が当たらず死なないのか?
そう思いながら、話を聞いていました。
主人は、父親の町工場を昔は経営していました、
それを弟と2人で引きついでいましたが、病気になって弟が心配して跡取りとなったので
肩の荷が下りて、自由の身となりました。
「2羽の雀は1アサリオンで売られてるではないか。しかも父の許しがないと、その1羽も
地に落ちることはない。」(聖書マタイによる福音書10、29)
一羽の雀さえ地に落ちるのを許されない神によって生かされて、守られました。
主人は、30年間ずっと神様の恵みの中におかれ、守られ、寝たきりの生活をしました。
「私はあなたの年老いるまで変わらず、白髪となるまであなたを持ち運ぶ。私は造った故に必ず背負い持ち運び、かつ救う」
(聖書イザヤ書46、4)
寝たきりの体に対して感謝しませんでしたが、信仰が与えられ、神の愛を体験できました。
皆さんおはようございます。これは教会の兄弟の証です、苦しかったでしょうね。
でもこの家族は、その主人の姿をとうして、生かされてる事の尊さ感謝がより強められたと思います。