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ありのままの自分が大好きです

この世で一人しかいない尊い存在です。人と比べる必要なんてありません。病でどん底に落ちて知りました。幸せは生かされてる事を感謝する事です

怒りが愛に代わる時

誰に対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。

あなた方は、出来る限りすべての人と平和に過ごしなさい。

愛する者たちよ、自分で復讐しないで、むしろ神の怒りに任せなさい。

なぜなら、「主が言われる。復讐は私のすることである。私自身が報復する」

と書いてあるからです。むしろ、「もしもあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ

かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによってあなたの頭に

燃え盛る炭火を積むことになるのである。」悪に負けないで、かえって

善をもって悪に勝ちなさい」(聖書ローマ人の手紙12,17~21)


「悲しみは愛の代償である」と言われますが友に裏切られました、憎しみでいっぱいになりました。

その気持ちが嫌になりました、どうしたら気持がよくなるでしょうか?


友に裏切られる事は辛いことです。信頼が大きかっただけに痛みも大きかったと思います。

しかし、復讐に執着する自分の醜さに気ずいたことは、素晴らしいことです。

しかし、気持ちを紛らわすだけで、決して憎しみから離れることはできません。

大切なことは、相手の人を心から許せるようになることです。

①神の裁きを知ることです

「自分で報復しないで、神の怒りに任せなさい」

これは、悪を裁く権利があるのは、神様だけです。それを言ってるのです。

確かに自分の力で復讐できてら、スカッとするでしょう。しかし憎しみは

憎しみしか生みません。確かに友人が裏切ったことは悪いことでしょう。

しかし、自分が神の前に出たら「私は正しい、何も悪いことはない」

そういえるでしょうか?その問題で正しかっても、良く反省してみるなら

自分も裁きを受けなければならない、罪深いものであることにきずかされます。

イエスキリストは、全く罪も犯していないのに我々の罪を背負って十字架について

死んでくださったのです。そして「父よ、彼らをお許しください」と祈ってくださいました。

私達は自分の受けた痛みを考えるのではなく、キリストの十字架、我々のために

身代わりとなった苦しみを考え、神にその友人、自分の許しを求めるべきなんですよ。

その許しの恵みがわかると、その相手を許せることができるのですよ。

犠牲の愛です、憎まず相手がよくなることを願うのです

これは自分の力ではできません、信仰、心の底からキリストを信じ敬うことです。

「人を裁くあなたは何者ですか?人を裁けるのは神様だけです」

他人事ではありません、これは全部自分に言ってるのです。


あと1時間後に仕事に行かせていただきます。職場で人間関係色々ありますが

この教訓を心のに入れて頑張ってきます。皆さんもよかったら、心に入れておいてください。

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