愛する者たちよ。私達は互いに愛し合おうではないか。愛は、神から出たものである。
すべて愛する者は、神から生まれたものであって、神を知っている。
愛さないものは、神を知らない。神は愛である。
神はその一人子を世につかわし、彼によって私達を生きるようにしてくださった。
それによって、私達に対する神の愛が明らかにされたのである。
私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛してくださって
私達の罪の贖いの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
愛する者たちよ。神がこのように私達を愛してくださったのだから
私達も互いに愛し合うべきである。神を見たものは、まだひとりもいない。
もし私達が愛し合うなら、神は私達のうちにいまし
神の愛が私達のうちに全うされるのである。(聖書第一ヨハネ4、7~12)
皆さんおはようございます。今日も暖かいですね、頑張りましょうね。
①愛されてる事を知る
私達が他の人を愛するためには、真の意味で自分自身を愛することが大切です
逆に言えば、他人の事が好きになれないというのは、相手の中に愛せない自分の一面が見えるからでは?
私達が自分を愛することは「愛されてる」ということを「神様に」それを自覚しているからです。
私達は神の前には問題のある人間です。しかし神は問題のあるのをあるがままに愛して
まことに生きる道をキリストによって提供してくださったのです。
自分は自分の苦手な人に愛されてるて、見つめ直して見てみましょう。
そうすれば、自分もその人に対する対応が変わって来ますよ
②真の愛を見つめる
私達がどのように人を愛するかは、私達が愛を知ることに比例します。
それではどのようにしたら、愛に心が満たされるでしょうか?
「私達の贖いの供え物として、御子をおつかわしになったここに愛がある」と記されています。
「ここに愛がある」とは「ここに本当の愛がある」と理解することができます。
キリストイエスは私達の罪を背負い十字架について死んで下さった。
ここに真の愛が表されてるのです。
私達がこの愛を深く知り、自分をその愛に委ねるなら、キリストの愛が自分の中に
芽生え始めることを実感することができるのです。
犠牲の愛ですね、母親が子供を産んだときの信条です
③愛することを始める
愛することはどんなに愛を黙想しても、論じてみてもできるものではありません。
愛は、愛することを行ってみて育ってきます。
初めは小さく傷つくかもしれません、しかし神に愛されてる事を信じ
できることから少しずつでも愛の技をするなら必ず育って行き、豊な身を結びます。
「もし私達が互いに愛し合うなら、神は私達のうちにいまし、神の愛が私達のうちに全うされるのである。」
まずへりくだり、謙遜になって、ああああ!神様こんな私を愛してくださり感謝します。
これを自分の心に満たしてみてください。そうすれば、凄い平安と、人を愛したい
その心が湧き出てきます。毎日続けてみましょう。
御言葉、いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい。
これを何百っ回、心に刻むのです。そうすれば、心が変わってきますよ。
悪い習慣を取り除いて、良いことを習慣にする
そうです。他人のあら捜しをして責める習慣を、他人の悪いことに気が付けば
その人のために、良くなることを祈るのです。これを習慣にするのです。
そうすれば、変わってきますよ。これは自分自身、全ての方に言ってます。
神様職場では必ず、人とのトラブルがあります、そんな時に、怒るのではなく
寛容な愛の心をもって、その方と接することができますように
神様御守りください。皆によってお祈りします。
今日が素晴らしい日となりますように。